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梶常吉のお話

梶常吉のお話

尾張七宝の祖、梶常吉

江戸時代の末期、尾張藩士の次男として富田(現在の名古屋市中川区)で生まれた梶常吉は、七宝の製作を志し苦難の末、オランダ渡りの七宝皿を研究して製法を発見、現在の尾張七宝(有線七宝)の基礎を作りました。その伝統は今も愛知の伝統工芸品として息づいています。
ここでは、梶常吉が七宝焼の製法を発見した様子が描かれているお話をご紹介します。

※道徳明るい人生 (中学2年用)発行所財団法人 愛知県教育振興会 昭和33年8月20日初版より引用

「常吉、常吉。お父さんがお呼びだよ。」
「・・・・・・・・・・」
「また、本かい。そんな古い本ばかり読んでいないで、早く仕事をしておくれよ。約束の品は、今日なんだよ…。困った子だねえ。」

常吉には、母の声など耳に入らなかった。たまたま見つけた書物に書かれていた「七宝焼」のことで、頭の中はいっばいだったのである。
(七宝焼…。七色にかがやく焼き物とは、いったいどんなものなのだろう。ぜひ焼いてみたいなあ。)
常吉は、見たこともない七宝焼をあれこれと想像しながら、しばらく、その場を立とうとはしなかった。
が、ふと、われに返ると、足早に父の待つ仕事場へ駆けつけた。そして、何かを心の中に秘めて、父に、おもむろに話しかけた。

「お父さん。…七宝焼を見たことがありますか。」
「なに、七宝焼?あの宝物といわれる七宝焼のことか。」
「そうです。知っているんですか。」

父は、鍍金(メッキ)の仕事の手を休めようともせずに、しばらく黙っていたが、そのうち人から聞いたという話をぼそぼそと語り出した。それは慶長(1600年ごろ)のころ、京都の平田道仁という焼き物師がオランダ人から学んだ、世にも珍しい焼き物を焼き上げ、時の将軍に差し上げたという話である。

「で、その七宝焼がどうしたというのだ。」
「実は、わたしも、その七宝焼を焼いてみたいのです」
「ば、ばかを言っちゃあいかん。七宝といわれるように、金や銀を使って焼くんだそうだぞ。そんな高い材料を買う金がどこにあるんだ。それに第一、焼き方さえわかっていないんだろう。」
「それを研究して……。」
「寝言みたいなことをいうな。家には、鍍金業という仕事があるんだ。つまらないことを考えないで、家の仕事に精を出しておくれ。」

父は、常吉の頼みなど全く聞いてくれる様子もなかった。食べていくのがやっとの常吉の家では、まるでよその世界の話であった。しかし、小さいころから人一倍好奇心が強く、研究熱心であった常吉の心は、すっかり七宝焼のとりこになってしまっていた。文政五年(1822)、梶常吉が十八歳のときであった。

ある日、父の使いで名古屋へ来た常吉は、一軒の骨董屋の店先にくぎ付けになってしまった。名古屋の表通り、末広町(今の中区栄二丁目)にある松岡屋の店先の棚の上に飾られた一枚の皿が目に入ったのだ。
(なんという美しい皿だ。まだ、見たことのない色合い…。これこそ、七宝焼に違いない。)
それからというものは、用事で名古屋へ来るときだけでは我慢できず、家の仕事もそこそこに、毎日、海東郡服部村(今の中川区富田町)から、皿を見に通い続けるようになってしまった。そして、松岡屋の店先で、何時間も、じっと皿を見ていたのである。そんな日が一週間ほど続いた。

「気をつけろよ。今日もまた、来ているぞ。」
「油断するなよ。店の品物をかっぱらっていくつもりかもしれないぞ。」

およそ、外国製の値段の高い皿を買うような客とは思えない身なりの常吉であった。毎日来ては、店先で何時間も皿とにらめっこしている常吉のことを、店の者たちが怪しく思うのは当然であった。そんな店の者たちの話を間きながら、松岡屋の主人は、店の奥から、そっと常吉の様子を見ていた。
しばらくして、主人は、常吉を店の中に通して、わけをたずねた。

「あの皿がお気にめしたようでございますが…。」
「はい。毎目、毎日、店先に立ってご迷惑をおかけしております。先日、お店の前を通ったときに見たあの皿が、目に焼きついて離れません。きっと、あれが七宝焼に違いないと思うと、何をしていても、足がひとりでにこちらに向いてしまうのです。」
「確かに、あの皿は七宝焼です。で、どうして、あなたは七宝焼のことをご存知で…。」

常吉は、松岡屋の主人の問いに対して、蔵にあった本で七宝焼のことを知ったこと、焼き物師である以上、ぜひ、そういうすばらしいものが焼きたいと思ったこと、父はそんなものが作れるはずがないと問題にしていないこと、今までもいろいろやってみたが、実物を見たことがないから、どうしてもできなかったことなどを熱心に話した。

「そういうわけで、実物をお店で見つけたものの、どうせ貧乏人のわたしに、高価な七宝焼など買えるはずがない。買えないものなら、せめて、よく見てと…。」

一心に話し続ける常吉の言葉に、じっと聞き入っていた松岡屋の主人は、しばらく腕を組んで考えこんでいたが、やがて静かに話し出した。

「よくわかりました。その熱心さに感心しました。七宝焼を、わざわざ大陸から取り寄せなくても、この日本でもできたらどんなにうれしいかわかりません。あなたとわたしの喜ぴだけではありません。日本にとっても大きな利益になることです。ぜひ、あなたの手で、七宝焼を作り上げてください。店先に出してある七宝焼の皿は、あなたに差し上げましょう。」
「えっ、本当ですか。」
「冗談でこんなことは言いません。その代わり、立派な七宝焼を作り上げてくださいよ。」
「ありがとうございます。石にかじりついてでも、きっと仕上げてお目にかけます。」

店を出た常吉は、七宝焼の皿を胸にしっかりと抱きしめ、天にも上る気持ちで家へ急ぐのだった。

「七宝焼、七宝焼、七宝焼,…。」

常吉の頭の中は、七宝焼のことでいっぱいであった。仕事にかかれば食事のことは忘れてしまう。母が、体を心配して、食べ物を仕事場へ運んで置いてくると、茶わんの中ヘ、うっかり粘土を放りこみ、ご飯といっしょにこねて、焼いてしまうようなこともあった。

「ああ、まただめか。……いったいどうすればいいんだ。…どうして、わたしにはできないのだ。」

焼き上げたばかりの皿を手に、常吉は、がっくりと肩を落とした。今度こそはと意気ごんで焼いたのだが、およそ七宝とは似ても似つかぬものだった。生活のためのわずかなお金さえ、皿を焼く材料に変わっていった。
よい土が出ると聞くと、飛んで行って土をもらい焼いてみた。火の強さも変えてみた。失敗につぐ失敗が続いた。焼き始めてから、何か月もの月日が過ぎていった。めっきりやつれた常吉は、薄暗い小屋から、ほとんど出ようとしなかった。そんな常吉に対して、村人たちは、陰口さえささやくようになった。

「いい腕をしているというのに、どうして稼業に精を出さないんだろう。」
「なんでも、七宝焼とやらの皿の前に座ったきりで、飯もろくに食べんということだ。」

すきま風の吹きこむ仕事場で、常吉は、目をつむってじっと考えこんでいた。タ方から吹き始めた風は、一段と強さを加え、ひんやりとした仕事場の戸板をガタザタと鳴らしていた。
と、そのとき、何を思ったのか、常吉はそばにあった金づちをつかむと、七宝の皿をめがけてふりおろした。
「バシン!」くだかれた皿の破片が、周りに飛ぴ散った。すると、思いがけないものが出てきた。七宝の絵の奥から現れたのは、こげ茶色の皿の形をした銅板であった。
(そうだったのか。陶器ではなかったのか。これが七宝焼の秘密だったんだ。今まで、外側からしか見なかった。こんなことでは、これと同じ物ができるはずがない。ようし、ここまでわかれば、もう、あとひと息だ。)
常吉は、くだかれた皿の破片を捨い集めながら、新しい情熱を燃え立たせるのだった。

それから数か月後、まだ、夜も明けきらぬ薄暗い仕事場から、常吉のさけぷ声が聞こえてきた。

「できたぞ。あの外国製に負けない七宝焼ができたぞ。この色合いといい、このつやといい…。」

それは、直径五寸(約十五センチメートル)ほどの小鉢であった。
常吉は、でき上がったばかりの作品に、いつまでもいつまでもほおずりをしていた。

常吉が七宝焼の研究を始めてから、実に、十四年、三十一歳のときのことであった。

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